私は幼稚園の頃、父にこっぴどく叱られて以来、それがいわゆるトラウマになったのでしょうか。
生前の父とはなかなかうまく話すことも、また目を見ることもできませんでした。
父の気持ちは母親から聞くことで理解する、というそんな感じでした。
母親も気を遣ってくれていたのでしょう。
「お父さんがね・・・」で始まる会話では、いつも私のことを自慢に思っている、ほめてくれている、そんな内容でした。
今は毎日、朝に水を夕にお茶をお供えし、お線香をたいて会話をします。
ですから今のほうが昔よりも良く話しています。
そんな父がつい数日前、はじめて夢に出てきました。
毎日遺影で見ている姿そのままで、元気に仕事をしていました。
何かのメッセージを伝えようとしてくれたのだと思いますが、当の私には目覚めてからもさっぱり分かりませんでした。
が、初めて夢で会えましたので、懐かしくまた嬉しくなりました。
死後も肉体こそ失いましたが、魂・スピリッツとして元気にしていると言わんばかりで、その存在感を強くアピールしてくれたのでしょう。
存在感をアピールすると言えば、実は数年前に結構派手な演出でその存在感をアピールしてくれた事があります。
たぶん父親の仕業だろうということで、当時結論付けました。
それはいったい何かというと、トップの写真にある電球へのいたずらでした。
父の死後、しばらくしてから母親をアメリカ旅行に誘ったのです。
飛行機は生まれて2回目、ということでドキドキだったようですが、無事やって来ました。
そして久しぶりに色々と父親の事を話しました。
父親は生前、家族の安全などいつも心配していましたので、母親が飛行機に乗ってアメリカにやってくるなんて一大事には、必ず側にくっついていたはずです。
「きっと一緒に来てるよ。お父さん。」
「そうね。」
そんな話をしている時でした。
なんだかミシミシっと音がしたんです。
その後、ブーンという音、チカッ、チカッと灯りが少し輝いたかと思うと、パシャリーンという薄いガラスが割れる音。
そしてジリジリーと音がして、電球が消えました。
最初、何が起きたのか良く分からなかったのですが、電球の玉が切れたんだと思いついて、さっそく交換しようと電灯に近づいてびっくりしました。
写真のように、綺麗に根元のガラスのところがカッターを使ったかのように切れており、ガラスの部分だけが落ちて割れていたんです。
こんな現象に出会ったのは初めてでしたので、びっくりしました。
そして母親と二人で納得したのが、「お父さんの仕業だね。」でした。
霊は電気や電気を使う製品に対してさまざまな影響を与えることができるということは良く聞きますが、電球のガラスの部分をそっくり切り取ってしまうなんてのはかなり派手なことを思いついたなぁと少し笑ってしまいまいた。
自分の事を話してもらって、喜んでいたのでしょうか。
父が側にいてくれることに感謝し、その後も母親が日本に帰るまで、きっちりと側で守ってくれるようにとお願いしました。
この電球の玉は今も父親の遺影の横に鎮座しています。
父が我が家を訪ねてくれた思い出として大事にとっているんです。
私がこの体を離れて、天に旅立つ時、きっと父が迎えに来てくれるでしょう。
その時にはこの電球の話をしてみたいものです。
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