私は魔法の引き出しを持っています。
その引き出しは、まるで魔法を使ったかのように私を助けてくれるんです。
いったいどんなものなの?って気になるでしょう!!
実は普通の引き出しなんですけど、私が勝手に魔法の引き出しって呼んでるんです。
皆さんは心配事が舞い込んできたらどうしますか?
ふと気づくとその事ばかり考えている。
不安で夜眠れない。
作業が手につかない。
気持ちが暗くなってしまう。
「どうしたの?元気がないね・・・」
なんて家族や友達が心配して声をかけてくれるのに、元気になれない。
以前こんなことを言われたことがあります。
友人がランチに誘ってくれた時のことです。
私とパートナーに楽しんでもらいたいと友人はランチ代を出して、御もてなししてくれました。
その食事中、私のパートナーが
「あっ、大切な事を忘れていた。どうしよう・・・?」
と小声でつぶやきました。
それを聞いた友人が
「何か問題事ですか?」
と尋ねると、パートナーは早めに終らせなければならない作業のことを思い出して、悩み始めていたところでした。
「それは、今悩んだら解決しますか?」
友人にそう聞かれ
「えーっと???」
と返事に困ってしまいました。
すると
「今悩んでも解決しないのであれば、一時忘れましょう。さあ、食事を楽しんで!」
それで、言われたとおり、今悩むことはやめて食事を楽しむことにしました。
何でもない話なのですが、
「今は悩むことをやめて、気持ちを切り替える。今を楽しむ。」
この友人の言葉には、なぜか力強い説得力がありました。
しかし悩み事の度合いによっては、そう簡単にはいきませんよね。
本当に難しい問題が発生した場合、果たして
「今はそれを忘れて」
と頭を切り替えることができるでしょうか。
「できない。できるはずがない。」
ですよね。
でも私は、問題が難しければ難しいほど、心を切り替える術を身に着けておかないと、その重みで潰されてしまうことを知っています。
「瞬時に忘れて、今を明るく生きる。」
こんな力が必要であるとしみじみと感じています。
数年前から私は大きな問題に巻き込まれ、大変な苦しい状況に追い込まれ始めました。
問題を引き起こした原因そのものが姿を消してしまったため、身代わりになったようなものでした。
嵐のような誹謗中傷、ありもしない内容での法的な攻撃、不審な車両が家の前に現れたり、差出人不明の脅迫メールを受け取ったり、銀行口座のシャットダウン等々。
収入も完全に途絶えてしまい、家族で1週間現金がゼロなんて時期も過ごしましたし、電力会社に電気を切られたり、水道会社に水を止めると警告されたり。
家のローンの支払いはぱったりと止まりました。
それまで友人であった人たちも皆消え去ってしまいました。
毎日その日の食事を準備するために必死でした。
冷蔵庫の中にはまったく食材がないのに、パートナーは何とか家族が食べられるように工夫をしていましたので、本当に良くやったと思います。
私とパートナーは、いわゆる社会の底辺までごろごとと落ちていったのです。
こんな状況ですので、ストレスは増える一方でした。
体重が激減し、眠れない夜を何日も過ごしました。
ある時、左右の奥歯に激痛が走り、顎から耳、そして脳みそをおおきな槍で貫かれるような痛みに襲われ続けました。
この激痛はストレスが歯の神経に影響を与えたのでしょう。
結局その後、歯の神経は死んでしまったようです。
数週間続いた痛みもだんだんと和らいでいき、最後には消えてしまいました。
痛みがやんで数ヵ月後、忘れもしないウェンディズでベーコンチーズバーガーを食べていた時のことです。
ベーコンを噛んだ瞬間に右側の奥歯の一部が「ガリッ」と音を立てて割れ、欠けてしまいました。
この右側の奥歯が崩れかけてしばらくして、今度は左側の奥歯も欠け始め、結局最後は両方の奥歯とも崩れてしまいました。
ちなみに、歯が欠け始めると、その欠けた歯がナイフのように尖っていて、口の中を傷つけていきます。
つばを飲み込んだり、食事をしたりすると傷の部分がさらに切り裂かれ、本当に痛い思いをします。
欠けた歯の先が少し丸くなって、痛みがなくなり始めほっとするのもつかの間、すぐにまた歯が欠けて新たな鋭利な部分が飛び出します。
歯がすべて崩れてしまうまでは、何も話したくもない、食べたくもないという状況が続きました。
私もパートナーも問題が発生した当初は、自らを守るためにと応戦しました。
応戦することは、社会の常識的には正しく、また当然であると信じていたからです。
しかし、何もかもがどうにもならない状況までいった時、緊張の糸がプツンと切れてしまいました。
もう全てがどうでもよく、死んでしまうことさえ怖くないというような気持ちになりました。
いや、むしろこの三次元での生活はもうどうにも修復できそうにもないので、次の世界に早めに行ったほうがいい、なんてことも考えました。
こうして戦うことを一切止めました。
もとより戦うなんて自分のタイプではないし、なにより争えば、自分も相手と同じになってしまう。
争いに争いで対応すれば、ますます争いを呼び、遺恨が残るだけ。
どちらが勝っても負けても、なにも解決しない。
それで一切の抵抗を止めました。
ガンジーやキング牧師のように、無抵抗をつらぬくことにしたのです。
何を言われても、何をされても、ただただそれを受け入れる。
キリストの言うところの、左の頬を差し出すというのはこんな感じなのでしょうか。
もう誰に何を言われようが、どのような結果を押し付けられようが、今日を生きれることに感謝をすることにしたのです。
神や天を信じ(FAITH)、すべてをサレンダーされる(身をゆだねる)。
全ての出来事、全ての人を許し、感謝し、そして祝福する。
きっとそのような選択をするようにと、私たちは追い込まれたのでしょう。
当然、その後も私たちへの脅迫にも似た圧力は続いています。
戦わない、サレンダーされると決めていても、圧力や脅しを受ける度に心は揺れるものです。
こんな時、私を助けてくれたのが魔法の引き出しなのです。
私は一時期、郵便やFedExなどで届く書類に脅えている時がありました。
夕方郵便局のおじさんが来る時間が近づくと、とても重い気分になりました。
郵便のおじさんは何も悪くないのに、彼には会いたくないなぁとも思ってしまったほどです。
FedExやUPSの車が近くに止まると、うちではないかと心配な気持ちで窓の外をみまもりました。
ごくまれに、腰に拳銃を下げたシェリフがパトカーでやってきて書類を手渡しすることもあります。
書類は本人が受領した旨のサインをして受け取ります。
そしてそのまま、封を切らずに魔法の引き出しに入れてしまいます。
私は天にサレンダーされると決めてからは、一切中身を見ないことにしたんです。
もう応戦しないのですから、中身を見ても心配になるだけ。
ストレスで身も心もズタズタになり、最悪命を無くしてしまうような状況を迎えるよりも、知らないで今日を生きていくことを選びました。
引き出しを閉めたあとは、できるだけ早く忘れることにし、気を取り直して今日できることに専念しました。
この魔法の引き出しを使い始めの当初は、不安に揺れた心が落ち着くまで時間がかかっていました。
しかし回を重ねていくうちに、引き出しをしめた後、ほぼ瞬時に私は不安な出来事を忘れることができるようになりました。
そしてその後は、書類だけにとどまらず、何か不安を生むような出来事や問題があった時も、それをさっと忘れて心を切り替えることができるようになりました。
引き出しの中は書類がパンパンに詰まっており、張り裂けそうです。
ただ逃げているだけではないか、とあなたは思うかもしれません。
私たちの行動は、この三次元の常識ではまったく受け入れられないものでしょう。
でも私はこう思っています。
究極の状況までいって、私は「今この瞬間を生きるという選択」をした結果、魔法の引き出しが生まれたのだと。
いつかはきっとこの書類の山も、誰かを応援するときには役立つことでしょう。
どんなに深刻で大変なことがあっても、「ほら、大丈夫だったでしょう」って。
だから皆さんも、自分なりに魔法の引き出しや、あるいはそれに変わるものをお作りになることはきっと良いことだと感じています。
もし皆さんが魔法の引き出しをつくったら、時々は「ありがとう」と声をかけたり、手のひらで触れてあげたりすると良いかもしれません。
香りの良い香などで癒してあげるのもいいですね。
あなたの心の重みを分かち合ってくれているのですから。
最後に、私のパートナーが探してきた小林正観氏の言葉を載せておきます。
「強さ」とは、主張を通すことでもなく、競争することでもなく、傷つかぬように 身を守ることでもなく、馬鹿にされ、罵られ、辱められ、笑われても、 笑顔で底から立ち上がってくること。
人生を真剣に生きるのはいいが、深刻に生きるのはやめましょう。人生は、笑い飛ばして生きるといい。
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